王宗岳「太極拳論」等の異種バージョンの誤謬の顛末

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 王宗岳「太極拳論」には、内容の語句が異なる異種バージョンがあることを「王宗岳「太極拳論」を読む」において、既に紹介した。李亦畲の「太極拳釈名」についても、内容的に全く異質の異種バージョンが存在するので、「太極拳釈名と易」の中に付記した。  こうした「異種バージョン」のごたごたが何故生じたのかについて、唐豪・顧留馨著『太極拳研究』(参考文献2)から紹介する。(李亦畲が残した拳論の抄本とは異なる文言を使って記述される拳論を「異種バージョン」と、ここでは呼びます) 第1章 王宗岳「太極拳論」・李亦畲「太極拳釈名」の異種バージョンについて 第2章 王宗岳「太極拳論」等の異種バージョンの誤謬の顛末 第3章 李亦畲「太極拳釈名(十三勢)」の異種バージョンの補足

第1章 王宗岳「太極拳論」・李亦畲「太極拳釈名」の異種バージョンについて

 王宗岳「太極拳論」と李亦畲「太極拳釈名(十三勢)」は、一緒に引用掲載される事が多い。これまでに目を通した諸本がどのように記述しているかについて、筆者がこれまでに公開したwebからまとめておく。  比較する箇所は、「太極拳論」については、  1:「動静之機」があるかないか。  2:「理唯一貫」の記述について。  3:「虚領頂勁」か、「虚霊頂勁」か。  4:「一羽不能加、蝿虫不能落」か、「一羽不能加、一蝿不能落」か。  5:「非関学力而有為也」部分の「有為也」の記述について。  6:「陽不離陰、陰不離陽」か「陰不離陽、陽不離陰」か。 「太極拳釈名」については、  7:八門と八卦の並びが後天図(図3)か先天図(図4)か。  手元にある諸本がどのような表記になっているかをまとめて図1に示す。比較項目の中で、最初の「動静之機」の有無の項と最後の後天図の並びか先天図の並びかの項は、参考文献13『太極図説』との関わり具合の視点から評価が可能ではないか。 比較表 図1. 手元にある諸本について調べた、王宗岳「太極拳論」と李亦畲「太極拳釈名(十三勢)」の異種バージョンの比較表。

第2章 王宗岳「太極拳論」等の異種バージョンの誤謬の顛末

 前章では、王宗岳「太極拳論」と李亦畲「太極拳釈名(十三勢)」の異種バージョンについて、既刊の太極拳関連本にどのように記述されているかについて調べた。  異種バージョンの由来についてその後得られた結論を最初に記す。
唐豪・顧留馨『太極拳研究』(参考文献2)の記述によれば、1921年に出版された許禹生著『太極拳勢図解』の中で、彼は入手したオリジナル原稿への加筆改変を憶測によって行った。自分の旧説の非を1939年に彼は認めている。
 異種バージョンの特徴として次の4点が指摘できる。
 1:「太極拳論」の本文に、「動静之機」が挿入されている。  2:「太極拳論」の本文に、数カ所のある一定の変更部分がある。  3:「太極拳釈名」の本文中の八門と八卦の並びが先天図に依っている。李亦畲の郝和本は後天図に依っている。  4:異種バージョンには、「武当山張三豊老師の遺論」等と記述されている場合が多い。  筆者注:張三豊は、張三峰、張三峯と記述される場合がある。
 こうした差異が生じた理由を推測させる記述が参考文献2(唐豪・顧留馨『太極拳研究』p.127)にあるので、抜粋翻訳して引用する。
顧留馨附考:1921年、許禹生の『太極拳勢図解』(北京版)の標題「太極拳経」の最初の段落は「太極者、无極而生、動静之機、陰陽之母也」であるが、「動静之機」の四文字が加筆されている。  篇の末尾の注には「この論は、三豊先生の弟子となった王宗岳によって書かれました」と記されている。  思うに、張三豊が太極拳の創始者であると臆説を記し、また、王宗岳は元末期と明初期に張三豊の弟子であると臆測している。  許氏の書に張三豊と付け加えられて以来、その後の他の太極拳に関する書がしばしば引用を続けた結果として、ここに太極拳創造の栄誉はずっと張三豊に帰することになった。  しかし、許氏は陳発科老師から陳式太極拳を学び研究した後、初めて太極拳は陳氏の家伝であることを知る。  1939年、許氏は編著『太極拳』(北京版)の「序文」の中で、次のように述べている。 「年来陳氏太極拳術を研究して頗る得る所があったと自覚した。陳氏の拳には現在三種類の家伝が残る:太極長拳、太極炮拳、太極十三式架子である。十三式は五路を共有しているが、多くは失伝している。現在演じられる拳は、僅かに十三式の中の套路であって、これらは楊氏所伝と比べて少しの違いはあるが大方は同じである。加えて、炮拳一路(陳氏現名の第二路)である。全体として二路が残存するにすぎず、その余は譜だけが残る。」  許氏は自分の旧説の誤りを正す勇気を持っていたが、その後、許氏の旧説を転用したり、更に内容を変えたりして、多くの太極拳書物が出版された。その結果として、太極拳の源流について、かつて多くの説が乱れてごたごたした。
 簡単にまとめれば以下の如くであろう。
許氏は、入手した拳論の草稿に「動静之機」の四文字を加筆挿入し、憶測で張三豊の遺稿とする記事を挿入して、1921年に『太極拳勢図解』を出版した。その後、1939年に自分の旧説の誤りを編著『太極拳』の「序文」の中で勇気を以って認めた。
 許禹生が旧説の誤りを勇気を以って認めた理由の手がかりと思われる記述がある。参考文献8『太極拳術』の中で、顧留馨は次のように記述する。
1932年1月初めに唐豪は陳子明に随って陳家溝に行き、太極拳史料を捜し集めた。
事態の推移を年代順に並べてみよう。
1:1921年 許禹生、『太極拳勢図解』初版発行。「動静之機」の挿入と「張三豊」との関係を憶測で記述する誤りが含まれていた。 2:1925年 陳微明、『太極拳術』発行。拳論部分の文言は、武禹襄と李亦畬の原本に沿う意味で、ほぼ正しい記述と思われる。 3:1932年 唐豪は陳家溝に行き、陳式の太極拳史料を捜し集めた。 4:1934年 許禹生、『太極拳勢図解』第5版発行。誤りの訂正はされていない。 5:1939年 許禹生、編著『太極拳』出版。その「序文」の中で、『太極拳勢図解』の記述の非を認める。 6:1964年 唐豪・顧留馨、『太極拳研究』。「附考」の中で、許禹生が旧説の非を認めた顛末を詳述。
 1921年発行『太極拳勢図解』と1925年発行『太極拳術』とに記述されているほぼ同名の拳論の文言には大きな差異がある。研究者の唐豪は、1932年に陳家溝に赴き、検証作業を行って、全てを解明したと推定される。許禹生は旧説の非を1939年に公表した。顧留馨の「附考」が公表されたのは、唐豪没後の1964年である。  唐豪・顧留馨著『太極拳研究』が1964年に出版されたあとでも、多くの太極拳関連本に、『太極拳勢図解』の影響が散見される。唐豪・顧留馨は『太極拳研究』の中で、「妄加牽連、不値一駁(誤って関連させた妄説で、反駁する価値もない)」と、許氏の旧説に起因するごたごたを評している。  今日の著作権を尊重する見方をすれば、「許禹生は、おそらく著者がわかっている草稿を入手後に、著者として「張三豊」を示唆する文言を付け加え、更に内容を改竄して、自分の著書の中の重要部分として公表した」となる。従って、意図的な悪質な著作権の侵害とみなされる可能性がある。  唐豪・顧留馨著『太極拳研究』の「前言」の中で「王宗岳・武禹襄・李亦畬の拳論の本来の面目を回復して、太極拳の源流についての憶説と歪曲部分を訂正した」と記している。  「述而不作(述べて作らず)」(論語)は中国の古い言葉であり、引用転載自体を適切に行えば、伝統的な手法とも云える。  関係する人物の生没年を付記する。   許禹生(1879-1945):楊露禅ー楊健侯の系統   陳発科(1887-1957)   陳微明(1881-1958)   陳子明(?-1951)   唐豪(1897-1959)   顧留馨(1908-1990)  主要な関係者が記載されている「太極拳主要伝逓系統表」(参考文献8から転載)を引用して、理解の一助とする。 系統表 図2. 太極拳主要伝逓系統表(参考文献8から転載)。

第3章 李亦畲「太極拳釈名(十三勢)」の異種バージョンの補足

 先に「太極拳釈名と易」の中で、「太極拳釈名(十三勢)」の異種バージョンについて言及した。その中で、異種バージョンの由来について次のようにまとめた。
 武禹襄と李亦畬が関係したバージョンが流布したという仮定をした上で、この相違の所以を尋ねるとすれば、例えば、作者に近い者が、あれこれと推敲を重ねた過程で生まれる草稿の一つに求める事ができる。仮に、郝和本の形が最終稿であるとすれば、上に引用した文章は、その推敲過程の産物とも云える。郝和本を「太極拳を整理して管理する」ものとする見解を紹介したが、その意味の中には、先天図を想定して八卦の並びを記述した草稿は、最終稿ではないという内容があるのかもしれない。  八卦の並びだけに注目すれば、宋易を信奉する輩が、先天図が含む対称性は後天図に優ると考えた結果、簡単に書き換えてしまう事もありうる。しかし、作者に近い者が、易との関係をどのように記述しようかと推敲を重ねる過程の草稿と考える方が自然かもしれない。  仮に「武当山張三豊老師の遺論」が事実を表していると仮定すれば、本来武当山に存在した古い文献が何らかの理由により流失して、それを武禹襄が入手したとも考えられる。
 今回、新たに二つの情報に接する事ができた。
 1:前章にて引用したように、許禹生『太極拳勢図解』中の「武当山張三豊老師の遺論」の記述は事実無根の憶測である。  2:呉深根代抄楊健侯老先生授贈《大極拳譜〉の中に「十三勢」が見られる(参考文献12)。(本章のなかでは、仮に「楊健侯本」と称す。)
 上述の第2項が興味深い理由は、楊健侯は楊露禅三子であり、許禹生は楊健侯の弟子だからである。許禹生『太極拳勢図解』の「十三勢」と「楊健侯本」の「十三勢」は、後天図(図3)の記述なのか、あるいは先天図(図4)の記述なのかを比較するのは、興味深い。  異種バージョンの由来を尋ねる助けとなるべく、入手した諸本に掲載されている「太極拳釈名(十三勢)」の文言を以下に列拳する。  許禹生は先天図の並びを使って「十三勢」の記述をしている。これに対して、許禹生の師匠の楊健侯が保持したと伝えられる「十三勢」は後天図の並びである。仮に師匠が保持する拳論を伝えられているとすれば、それに大規模な改変を加える事は、考えにくい。敢えて改変を行うとすれば、文言の背景にある後天図が気に入らないので、先天図(宋易)に合致するように変更したとも考えられる。あるいは、先天図の並びの草稿を入手したのであろうか。更に、先天図を使うバージョンの中で、『太極拳勢図解』の表記は、四正方に位置する並びが少し異なる。
掤捋擠按:『太極拳体用全書』楊澄甫(1934年) 掤, 捋, 擠, 按:『太極拳講義』呉公藻(1936年) 掤按擠捋:『太極拳勢図解』許禹生(1921年)
 唐豪・顧留馨著『太極拳研究』が主張する「不値一駁」なごたごたと思います。 後天図 図3. 太極拳釈名では、後天図の並びに、八種の手法(掤、捋、擠、按、採、挒、肘、靠)を配置。 先天図 図4. 先天図の並び。「先」の字はあるが、易経成立よりもずっと後世の作と云う。八卦の相対性だけに着目すると、後天図にまさる並びであることが、相対する卦の爻の並び、あるいは、象る名称(図中に表記)から理解されるが、『易経』の中でこの方位図が示される事はなく、易占で使われることもない。 参考文献 1. 余功保、『中国太極拳事典』、ベースボール・マガジン社、2013年。 2. 唐豪・顧留馨、『太極拳研究』、人民体育出版社、1999年(初版1964年)。 3. 郭福厚、『太極拳秘訣精注精訳』、人民体育出版社、2015年。 4. 楊澄甫、『太極拳体用全書』、台湾逸文、2001年(初版1934年)。 5. 呉公藻、『太極拳講義』、上海書店、1985年(1936年上海鑑泉太極拳研究社)。 6. 笠尾恭二、『中國武術史大観』、福昌堂、1994年。 7. 李天驥、『太極拳の真髄』、BABジャパン出版局、1992年。 8. 顧留馨、『太極拳術』、上海教育出版社、2008年(初版1982年)。 9. 銭育才、『太極拳理論の要諦』、福昌堂、2000年。 10. 『太極拳全書』、人民体育出版社、1988年。 11. 陳微明、『太極拳術』、致柔拳社、1925年(北京科学技術出版社、2016年)。 12. 李亦畲、『王宗岳太極拳論』、北京科学技術出版社、2016年。 13. 西晋一郎・小糸夏次郎 訳註、『太極図説・通書・西銘・正蒙』、岩波文庫、1938年。 14. 郭福厚、『太極拳推手訓練秘訣』、BABジャパン出版局、1999年。 15. 楊進、『至虚への道』、二玄社、2009年。 16. 許禹生、『太極拳勢図解』、体育研究社、1921年(北京科学技術出版社、2018年、1925年再版)。 17. 許禹生、『太極拳勢図解』、体育研究社、1921年(山西科学技術出版社、2006年、1934年第5版)。 18. 楊名時、『太極拳のゆとり』、文化出版局、1980年。 19. 加藤湖山、『易経ノート』、Apple Books Store、2021年。 易経・太極拳に関係する著者のweb: 太極拳釈名と易 易経の先天図八卦の並びと陰陽魚太極図 王宗岳「太極拳論」を読む 武禹襄「太極拳解」を読む 武禹襄「十三勢説略」を読む 「十三勢行功歌」を読む 本稿に関するご意見質問等はメイルしてくだされば有難く存じます。    2023年    著者:加藤湖山    e-mail: kozan27ho@gmail.com    Copyright (C) 2021- K. Kato, All rights reserved.