太極拳釈名と易

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 太極拳論の歴史研究に参考となる基本史料の多くは、中国の清の時代のものです。中でも「太極拳釈名」と呼ばれる短文史料は、’太極拳’という名称が史上初めて登場する文献として知られています。  「太極拳釈名」の基となる原文は「十三勢」と呼ばれています。1852年に清の武禹襄(1812-1880)が原文を入手した時には無題だったとされており、「太極拳論」と同じように王宗岳(1790頃活躍、生没年不明)の作と言われていますが、異論もあるようです。  武禹襄の甥の李亦畬(1832-1892)は、この原文の内容が自分の拳法の基本要素を見事に記述しているのを見て、冒頭に「太極拳、一名長拳、又名十三勢」、文末に「これ技なり、一着一勢、ことごとく陰陽を外れず、ゆえに又、太極拳と名づく」と記しました。これが「太極拳釈名」と呼ばれる文書です。  「太極拳釈名」は、太極拳愛好家に、太極拳の大切な基本要素はこの十三の勢(八門五歩)であると示し、技は陰陽を外れない、技は陰陽を考えて動くことが大切だ、だから太極拳なのだ、と教えています。  「太極拳釈名」に関連する文書は、原本が失われており、複数の抄本が残されているとされます。本稿では、三つの主要な抄本を比較して、李亦畲が太極拳釈名抄本を作成するにあたって使用した「原本」部分と、加筆した部分との関係を考察します。加えて、原本部分の記述を易から眺めて、李亦畲の後段加筆部分が意味する内容に迫ります。

◯「太極拳釈名」に関する三つの抄本

 まずは『太極拳研究』(参考文献2)から三つの抄本を年代順に紹介します(ほとんど同じ文言ですので、読み下し文は二番目の李福蔭本に書き添えています)。  郭福厚は『太極拳秘訣』の中で次のように記しています(参考文献6)。 「(李亦畲が)晩年、この文章に形を変えた事は、初期の頃には’長拳’や’十三勢’が’太極拳’だと思っていたので、そのように前文と後文を付けたことを示しています。 晩年になって、自分の思い込みが間違っていたことに気づいたのか、元の形に戻しています。」  李亦畲が晩年に戻したとされる抄本は、郝和本(1881年)と推定される。郝和本を李福蔭本と比較すれば、郝和本では、文頭から「太極拳,一名長拳,又名十三勢」が削除され、文末では「是技也,一着一勢,均不外乎陰陽,故又名太極拳」が削除されている。  ここで注意すべき点は、文末部分を削除した理由は、文末の「是技也,一着一勢,均不外乎陰陽,故又名太極拳」という文章が示唆する内容と自分が実践する拳法との関係を否定したからではないと推定される事である。文頭部分削除の理由は、「’長拳’と’十三勢’を’太極拳’と思ったのは、自分の思い違い」であり、その結果として、他の流派を含めて「太極拳」と名付けていると他者に受け取られかねないので、削除したと推定される。  文末部分削除の理由は他に考えられる。この理由を探る手がかりとして、「徐震は、李亦畲が書き贈った郝和本を「太極拳を整理して管理する」ものとした」(参考文献2)という記述がある。この意味は、武禹襄が1852年に河南に赴いた時に入手したとされる原本部分を正確に示す事にあったと推定される。  ここで推定した文末部分削除理由は、次の二つの事実とも矛盾しない。 1)李福蔭本は1880年、郝和本は1881年と記されており、ほとんど同時期とみなされる。 2)李亦畲の後継者が、「太極拳」なる名称を使い、拳法における太極陰陽の理の重要性を尊重している。  李亦畲は、自分の思い違いに気づき、他流派との関係を配慮して、「太極拳」なる文言を省略した形で郝和本を記したと推定されるが、その後の歴史経過を眺めれば、「太極拳」なる名称はあまりに適切なので、他流派まで「◯◯太極拳」と使うなど、広く普及した。  なお、最初に書かれた馬印抄本(1867)を原本とする見方もある。この場合、「一名長拳,一名十三勢」から始まる文頭表現には、少し違和感があるので、何らかの文言が欠けているとも推定出来る。

◯易から見た「十三勢」と「太極拳釈名」

 「十三勢」の中には小成八卦の名前が示され、「太極拳釈名」においては、李亦畲の付加文言に陰陽太極が登場するので、両者の関係を検討する。  十三勢:卦名の後に「四正方」と「四斜角」が記されている事から判断すれば、八種の技を後天図の方位に配置する小成八卦に当てはめていると推定される。筆者の理解の範囲では、技と方位名との関係は明確ではない。技と卦名との関係も明確ではない。従って、卦の並び方の位置関係が意味を持つと推定される。注目するのは、この十三勢の文言の中には、李亦畲が付加した「一着一勢、ことごとく陰陽を外れず」という陰陽の動的な意味合いは、ほとんど含まれていない事である。後天図の八卦の並びに八種の技を並べるという意味で、八卦名を使い、更に「四正方」と「四斜角」という名称による分類によって、二つのグループに分けて、技と卦名を関連させているという内容が、文言の字面から読み取れる理解であろう。なお、相対の意味においては、不完全な八卦の並び方の方位図を使っている事を指摘できる(先天図ではなく後天図の並び方を使っているという意味)。 注)卦名と技の関係性については、掤は坎であり坎は水云々の論があるようだが、こじつけの論に見える。  太極拳釈名:李亦畲は十三勢の文言を熟読し、易の根本原理である陰陽の生成発展が、拳法の動きの根本(剛柔、強弱、動静、進退、直曲、長短、伸縮、緩急など)に通じていると考えて、「これ技なり、一着一勢、ことごとく陰陽を外れず、ゆえに又、太極拳と名づく」と付加したと理解できる。  ところが、易から眺めると、太極拳釈名に加えられた最後の文言(これ技なり、一着一勢、ことごとく陰陽を外れず)と原文(十三勢)の文言(掤、捋、擠、按,即坎、離、震、兌四正方也。採、挒、肘、靠,即乾、坤、艮、巽四斜角也。)との間には、それが意味する内容に大きな差がある。  従って、次に検討すべき問題は、「これ技なり、一着一勢、ことごとく陰陽を外れず」という文言が示す内容が、「十三勢」の文言の中から読み取れるかどうかであろう。以下においてこの点を考察する。

◯「太極拳釈名」中の技の概要

 釈明中の八卦に配当されている八種の技の動きの概要を、参考文献4と5に従って紹介する。八卦の並び方に技を配置した時の、具体的な位置関係は図1を参照。 ◯四正方 上記解説と図1とを参照すれば、四正方に配置されている赤の四角形で囲んだ掤・捋・擠・按の四つの手法の相互の関係性は、180度の相対位置関係にある手法の間の関係性が強いと理解される。即ち、掤と捋との関係が強く防御的であり、擠と按との関係性が強い。 ◯四斜角 上記解説と図1とを参照すれば、四斜角に配置されている青の星形で囲んだ採・挒・肘・靠の四つの手法には、次の関係が認められる。 北西に配置されている採は、南西に配置されている挒と似ているとされる。共に相手のバランスを崩す。 北東に配置されている肘と南東に配置されている靠は通常連続して用いる攻撃的手法とされる。 従って、これらの四つの関係性は180度の相対位置関係が強いのではなく、隣合う二組の関係性が強いと理解できる。  筆者は太極拳・推手の実際の動きについては無知なので、技についてはこれ以上の考察は行わない。畳の上の水練のごときであり、隔靴掻痒となる点はお許しを。

◯易から見た方位図上の並びの解釈:李亦畲の「これ技なり、一着一勢、ことごとく陰陽を外れず」の内容を探る

 ここまでの検討の結果は次の如くである。  方位の名や方角そのものに意味があるのではなく、八卦の方位図の並びに八つの技を配当している事に意味があると推定される。  八種の技の配置は、四正方に配置されている技については、相対する位置にある二つの技の間の関係性が強く、四斜角に配置されている技については、隣り合う二つの技の関係性が強いと推定された。  このような技のペアの選び方と八卦の並びとの間に何らかの関係があるのかどうかについて検討する。  太極拳釈名で使っている後天図と呼ばれる図1の配置において、卦を為す三爻(陰爻と陽爻の組み合わせ)に着目する視点から導かれる八卦の間の関係性を記す。三画卦の八卦の卦爻の形は図1の中に表示されています。  四正方と呼ばれる四方向に配置されている卦の関係性は以下の通り。  四斜角と呼ばれる方位に配当される四卦の関係性は以下の通り。  以上より、「十三勢」中の本文に記されている八種の技の配置の関係性と八卦の配置の関係性とを比較すれば、次の結論が得られる。
 後天図の小成八卦の配置において、陰陽変化の関係性が強い二つの卦を選んで、技の関係性が強い二つの技を配している。具体的には、爻を裏返して転倒する関係がある二つの卦に、関係性が深い二つの技を配置する方法で、八種の技を配置する。別の言い方をすれば、それぞれのペアにおいては、卦を成す三爻(陰陽)が一定の規則に則り変化している事を指摘できる。  このルールに従えば、四正方の卦については、相対する二つの卦をペアにする事になり、四斜角の卦においては、隣り合う卦をペアにする結果となる。  従って、図1を表面的に見る限りにおいては、技は八卦の並びに静的に配置されているのであるが、二つの関係の深い技が配当される二つの卦の間には、ある一定の陰陽の変化が存在しており、この陰陽変化の仕方が同じである四組が、ペアとして選ばれている事がわかる。  まさに、李亦畬が「太極拳釈名」の文末に付加した「一着一勢、ことごとく陰陽を外れず」なる文言に対応する配置が実現していると云える。
 多少無理筋の印象はぬぐえない論を展開しました。技に通じている方には、更に興味あるテーマと思います。 注)易は変であるとも云われます。爻の陰陽を変ずる(変爻)は易の中には頻繁に登場します。 注)筆者は、以上述べたテーマに関して文献渉猟をしておりません。上の議論の大枠が議論に耐えるものならば、既にどなたかが公表されている論と似ている可能性があります。御知らせ下されば有り難く存じます。  ◯先天図(図2)にみえる卦の相互の関係は次の通り。  以上記したように、先天図の卦の配置の間には、八卦の相互間の強い関係性が複数存在するので、その中からある関係性を選んで、八種の技を配当する事は可能であろう。実際には後天図の配置を使って「十三勢」は記述されている。先天図を採用しなかった理由として、180度の相対性が完全である事に加えて、その他の関係性も存在するので、複数の配置方法が選択可能である事を嫌うとか、清の時代にどのような易が流行したかという事などが考えられる。 注)通常は大成の卦について「錯卦・綜卦」を使うが、本稿ではわかりやすいように小成八卦に対して使用した。

◯附けたり:『太極拳体用全書』と『太極拳講義』に記載されている先天図に沿う記述

 『太極拳体用全書』(参考文献7)と『太極拳講義』(参考文献8)の(武禹襄の)太極拳論の節は面白い記述を含んでいる。その記述の中においては、本稿の冒頭に引用した「十三勢」とほとんど同じ文言が使われているにもかかわらず、八卦の並び方は先天図を想定しているので、興味が惹かれるのである。  以下に引用する文言は、(武禹襄の)「太極拳論」と呼ばれる文章の後ろに置かれる形で記述されている。著者の楊澄甫は楊露禅の孫である。呉公藻は呉式太極拳を受け継ぐ方であるが、その家系を遡れば、武禹襄が師事した楊露禅に源流がある。従って、「太極拳釈名」に関係する武禹襄と李亦畬にも近い関係があると推定される。故に、今日「十三勢」と呼ばれている文章が、違った形で二人の著者に伝承されている可能性があっても不思議ではない。『太極拳体用全書』の初版は1934年、『太極拳講義』の初版は1936年に出版されている。  ところが、その文章末尾に原注として「武当山張三豊(峯)老師の遺論」と記されている。張三豊老師とは、七百年ほど昔に、太極拳を創設したと伝わる伝説的な老師を云う。従って、これらの本の著者達は、「太極拳論」と「十三勢」は、武禹襄と李亦畬が関与する前から存在していた古い教えであるとして紹介している。  「十三勢」とほとんど同じ文言を使っているにもかかわらず、先天図を想定している変形バージョンの「十三勢」を以下に示す。 『太極拳体用全書』
長拳者。如長江大海。滔滔不絶也。掤捋擠按採挒肘靠。此八卦也。進步退步左顧右盼中定。此五行也。掤捋擠按。即乾坤坎離四正方也。採挒肘靠。即巽震兌艮。四斜角也。進退顧盼定。即金木水火土也。合之則為十三勢也。
『太極拳講義』
長拳者。如長江大海。滔滔不絶也。十三勢者。掤, 捋, 擠, 按, 採, 挒, 肘, 靠, 此八卦也。進步, 退步, 左顧, 右盼, 中定, 此五行也。掤, 捋, 擠, 按, 即乾, 坤, 坎, 離, 四正方也。採, 挒, 肘, 靠, 即巽, 震, 兌, 艮, 四斜角也。進, 退, 顧, 盼, 定, 即金, 木, 水, 火, 土也。
 上に引用した文言の特徴は以下の通り。 「太極拳釈名」と比較すれば、(1)文言が部分的に切り貼りされてその位置が大きく変わっている事、(2)八卦の並び方が先天図になっている事を指摘できる。この相違は、写本の時にミスによってどうこうしたというレベルを越えている。  武禹襄と李亦畬が関係したバージョンが流布したという仮定をした上で、この相違の所以を尋ねるとすれば、例えば、作者に近い者が、あれこれと推敲を重ねた過程で生まれる草稿の一つに求める事ができる。仮に、郝和本の形が最終稿であるとすれば、上に引用した文章は、その推敲過程の産物とも云える。郝和本を「太極拳を整理して管理する」ものとする見解を紹介したが、その意味の中には、先天図を想定して八卦の並びを記述した草稿は、最終稿ではないという内容があるのかもしれない。  八卦の並びだけに注目すれば、宋易を信奉する輩が、先天図が含む対称性は後天図に優ると考えた結果、簡単に書き換えてしまう事もありうる。しかし、作者に近い者が、易との関係をどのように記述しようかと推敲を重ねる過程の草稿と考える方が自然かもしれない。  仮に「武当山張三豊老師の遺論」が事実を表していると仮定すれば、本来武当山に存在した古い文献が何らかの理由により流失して、それを武禹襄が入手したとも考えらる。  色々な事が推測できる面白い文献と思うが、充分な関連史料が整わない限りは、憶測の域を出ない。  2012年(あるいは2008年、初版1982年)出版の顧留馨著『太極拳術』(参考文献9)においては、(武禹襄の)「太極拳論」の続きに「十三勢」が記載されているが、ここでは後天図を使った八卦の並びに書き換えられている。全文は以下の通り。
長拳者,如長江大海,滔滔不絶也。十三勢者,掤捋擠按, 採挒肘靠,此八卦也。遭歩、退歩、右顧、左盼、中定,此五行也。掤捋擠按,即坎離震兌,四正方也。採挒肘靠,即乾坤艮巽,四斜角也。進退顧盼定,即金木水火土也。
 筆者の興味の始まりは、八卦の並びと技の並びとの関係にあった。探索の結果として、少なくとも、1930年代に出版された太極拳関連の書籍には、先天図を仮定する八卦の並びを基礎にした「十三勢」が存在した事を知った。二つのバージョンの「十三勢」が存在した事は、新たな探索の興味を誘うが、文献探求者にとっては解決済みの問題かも知れず、拳法家にとってみれば、八卦の並び云々は問題にならない問題と推察する。 ◯参考:「太極拳釈名」の関葆謙本(参考文献2)。1911年に北京の楊氏に伝わる抄本から複写された。
太極拳一名長拳,一名十三勢。長拳者,如長江大海滔滔不絶;十三勢者,掤、捋、擠、按、採、挒、肘、靠,此八卦也。進步、退步、左顧、右盼、中定,此五行也。合而言之曰十三势。掤、捋、擠、按,即坎、離、震、兌四正方也。採、挒、肘、靠,即乾、坤、艮、巽四斜角也。進、退、顧、盼、定,即水、火、木、金、土也。

◯巷に存在する河図と洛書関連文書についての簡単な評価

 易経中の河図と洛書に関連する文言は以下の六文字。
「河出図。洛出書。聖人則之。」 河図を出だし、洛書を出だして、聖人之に則る。
 従って、現在出まわっている河図洛書についての情報のほとんどは、後世の作であり、存在したとされる本物との関係は薄く、易経とは無関係・無理やりのこじつけ・あるいは偽作とも云えるものである。  宋の頃の邵雍により完成され、朱子が支持したことにより、広まる。しかし時代の変遷で、後には数遊びの偽作として攻撃される。  数遊びの具体的方法は、例えば、八卦に数を当てはめて方位と関連させる一連の行程は、その数字の選び方の基準が卦によって違っており、辻褄あわせとしか見えない。  従って、これらの一連の数字遊びを基礎にして、そこからどのような労作を為しても、本来の易とは無関係の砂上の楼閣か。
後天図
図1. 太極拳釈名では、後天図の並びに、八種の手法(掤、捋、擠、按、採、挒、肘、靠)を配置。
先天図
図2. 先天図の並び。「先」の字はあるが、易経成立よりもずっと後世の作と云う。八卦の相対性だけに着目すると、後天図にまさる並びであることが、相対する卦の爻の並び、あるいは、象る名称(図中に表記)から理解される。
郝和本十三勢
図3. 郝和本の十三勢。参考文献9より転載。 参考文献 1. 笠尾恭二、『中國武術史大観』、福昌堂、1994年。 2. 唐豪・顧留馨、『太極拳研究』、人民体育出版社、1999年(初版1964年)。 3. 銭育才、『太極拳理論の要諦』、福昌堂、2000年。 4. 楊進・橋逸郎、『健康太極拳規範教程』、ベースボール・マガジン社、2000年。 5. 劉慶州、『太極推手入門』、BAB ジャパン出版局、2013年。 6. 郭福厚、『太極拳秘訣精注精釈』、人民体育出版社、2015年。 7. 楊澄甫、『太極拳体用全書』、台湾逸文、2001年(初版1934年)。 8. 呉公藻、『太極拳講義』、上海書店、1985年(1936年上海鑑泉太極拳研究社)。 9. 顧留馨、『太極拳術』、上海教育出版社、2012年(初版1982年)。 10. 加藤湖山、『易経ノート』、Apple Books Store、2021年。 易経・太極拳に関係する著者のweb: 易経の先天図八卦の並びと陰陽魚太極図 王宗岳「太極拳論」を読む(2021年10月26日) 王宗岳「太極拳論」等の異種バージョンの誤謬の顛末 武禹襄「太極拳解」を読む 武禹襄「十三勢説略」を読む 「十三勢行功歌」を読む 本稿に関するご意見質問等はメイルしてくだされば有難く存じます。    2021年    著者:加藤湖山    e-mail: kozan27ho@gmail.com    Copyright (C) 2021- K. Kato, All rights reserved.