易経:非常時:沢風大過
御来訪有難うございます。 2022年4月9日
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21世紀になって昔ながらの大規模侵攻(戦争)が起こりました。易経の中に非常時を扱う卦があります。「沢風大過」は、大過の世にあって君子はどう生きるかを描いています。筆者は電子本の中にその卦についての解説を載せていますので、ここに引用掲載致します。
第24章 沢風大過:義を見てせざるは
沢風大過は二十八番目の卦です。
大過は陽の大なるものが過ぎるという意味で、大いに過ぎる事です。大過の画象䷛を見ると、四陽二陰から成り、陰陽のバランスから言えば、陽(大とする)が過ぎている事がわかります。
前章に続いて沢風大過をとりあげます。大過の重要な部分は、ここに取り上げる上爻にあると思うのです。大過が大過を極める時にあたり、君子はどのように処すべきかについて説きます。
大過の時とは、端的に言えば非常時です。このまま放置すれば人々の多くが重大な災害を受けるおそれがある。大惨事を回避するには、大川の向こうに設置されているミサイル一斉発射装置を破壊するしか方法はない。あいにくの豪雨により川は濁流である。さて、どうする。こうした状況を想定して上六の爻辞を読んでみましょう。
上六。過渉滅頂。凶。无咎。
上六は過ぎて渉り頂を滅す。凶なり。咎无し。
【大意】
上六は、大過の行き過ぎの時にあたり、柔弱の身をかえりみず、徒歩で川を渡り、水没する。身の不幸は凶ではあるが、咎はない。
象曰。過渉之凶。不可咎也。
象に曰く、過ぎて渉るの凶は、咎む可からざるなり。
【大意】
「過渉之凶」とは、その志は大義に生き、その咎は大過の時に帰すべきであって、咎めることはできない。
◯語句
過渉:徒歩で川をわたるが行き過ぎる。
滅頂:頭のてっぺんが水没する。滅は没。
川を渡り始めた勇士は、力尽きて頭が水没した。彼にとっては命を失う事になって、それは凶である。しかし、その行動を誰が咎められるであろうか。咎めるべきではないのである。
論語は説きます。
義を見て為ざるは勇無きなり。
士は危きを見て命を致す。
身を殺して以て仁を成すこと有り。
明治維新の評価は色々です。それは、後世から見ての話であり、その後の全ての歴史の流れを知った上での評価である事も多い。当時、その渦中にいた人の中で、日本と世界の実相に眼を向けようと志した者には、未曾有の危機が近づいていると見えた事は間違いない。その上で、時にあわずに命を落とした前途ある者が多く存在する。是非もなし。
参考文献
加藤湖山、『易経逍遥』、Apple Books Store、2020年。
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2022年
著者:加藤湖山
e-mail: kozan27ho@gmail.com
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