ロシアのウクライナ侵攻と易経の中の戦争の卦:地水師

御来訪有難うございます。 2022年2月25日  トップ「湖山のきょう底」へ戻る  21世紀になって昔ながらの大規模侵攻(戦争)が起こりました。易経の中に「戦争の卦」とも云うべき卦(地水師)があります。筆者は電子本の中にその卦についての解説を載せていますので、ここに引用掲載致します。

第8章 地水師:戦争の卦

 地水師ちすいしは七番目の卦です。 師は「いくさ」という意味です。現在でも師団とか出師すいしとかに使われていますが、一般的には恩師とか先生の意味の方が通じやすいでしょう。易の中では、師は、いくさ・軍隊・兵衆(衆は多く集まる)の意味ですから、注意が必要です。易経の中には争いが登場する卦は複数ありますが、戦争を直接に題材とする卦は、この地水師だけと思います。  地水師の下卦はかんで上卦はこんです。坎は水を表し、坤は地を表すとして、水は地中にあれば群がりあつまること衆多のごとしだから師である。あるいは、下卦坎はなやみ、上卦坤は衆・したがう・村として、衆が民の険みの事に順う象ゆえに師と云うとか、複数の説明があります。  ところで、戦争は易が出現した昔から既にあり、そして現在でも世界の各地で生じている所の不幸な事実と思います。易の作者の戦争に対する考えは、現在にも通じるものであるとして、ここにそのポイントを紹介します。 師:いくさ。兵衆(二千五百人)。大勢の人。軍は大きないくさで、五師で一万二千五百人。 貞:貞正。ただしかるべし。 師は貞なり:正義の軍でなくてはいけない。
〖師は貞なり〗
❍ 正義の軍でなくてはいけない。別読み:師はただし。 ❍ 兵は好んで用いるべきでなく、暴悪の者が民を残害する時に止むを得ず征伐するもの。天にかわって民を哀れみ救う。こうした仁義の師を起こせば、名は正しく、令は行われて、勝つことを得て、咎無き道である。 ❍ 不義にして師旅を起こし、干戈かんかを動かし、境を侵し、民を毒する者は、貧兵(むさぼれる兵)といい、暴なる師と呼び、天も人も共にくみせず助けぬゆえに、必敗となる。 故に師はただしかるべしという。
丈人:老成の人。知仁勇を兼ね備え、人の上に立って統率する器量のある者。
〖丈人吉〗
❍ 仁義の師を出すとしても、統率する将帥(元帥)に才能が欠けていれば、その師は必敗する。故に軍旅の最も重要なことは、どのような元帥を選ぶかである。 ❍ 敗北となれば、罪なき兵卒を非命に失うことになり、これは罪悪の至極である。 ❍ 元帥選びの要道:   年の年長によらず、   貴賎によらず、   名門門閥によらず、   知仁勇の三徳が備わる者。 ❍ 丈人を選べば、乱を定め、民を安んじ、国が治るので吉である。
咎无し:失敗がない。
丈人を選べば吉にして咎なし。人が人を殺すは本来咎あるべきことであるが、暴虐の徒が民を害する時に、止むを得ず仁義ある師を用いる事は、天の正しき道に違うことはなく、咎なしという。兵はもともと詭道凶器にして仁者の好む所でない事を知るべし。
 易の本文はこれ以上に簡潔な表現はないというほどに簡単ですが、内容は深い問題を抱えていると思います。二つのポイントをあげましょう。  戦いの当事者は、どちらも自分に理があり正義があると宣伝します。その宣伝そのものを以て理非を判断することは至難といえましょう。詐欺師は詐欺師ではないかのごとく嘘をつきますので、だまされてしまいます。トップが知仁勇を兼ね備えた統率力あるリーダーであるかどうかも、直接的には多くの場合にはわかりません。何故ならば、リーダーとしてふさわしいとする嘘を含む宣伝を全力で行うからです。  易の解釈・説明文の中に一つのヒントが示されています。それは、生じている結果をみるという事です。師の結果についても、その直後においては宣伝合戦的なものが混在していますから、判断は難しいのですが、歴史上の事柄であれば、事実に近づく事は、ある程度可能といえましょう。現代の問題への参考になればよいと思います。但し、離明なる知が求められることは前提です。  判断の参考になる説明は次の文です。
不義にして師旅を起こし、干戈かんかを動かし、境を侵し、民を毒する者は、貧兵(むさぼれる兵)といい、暴なる師と呼び、天も人も共にくみせず助けぬゆえに、必敗となる。
歴史上の大事件をみてましょう。  共通する事実は、「境を侵す」という事です。いずれも兵が境を超えています。簡単に言えば、自国の外へ兵を派遣しているかいないかを見て、そこに正義があるかどうかを判定してもそんなに間違いはないのです。  世界史を見て気づきませんか。一つの帝国が永遠に栄えることはないですね。最盛期は長くても数百年はありません。せいぜい二百年程度を目安とします。驕る平氏は久しからずです。  師を率いる丈人については、調査することさえもなかなか難しいようです。日本の歴史に例をもとめましょう。  拡張する側からみて貞である戦争は歴史上に少ない故に、そこに従事する将軍達の中に丈人を見つけようとしてもむづかしいといえましょう。更に、人は変わるものですから、戦争当時は、丈人に近くても、その後、変節する人は多くいるようです。  以上、戦争に対する基本的な見解は以下のごとくでしょうか。
師はいくさ・兵衆の意味である。人が人を殺すは本来咎あるべきことであるが、暴虐の徒が民を害する時に、止むを得ず仁義ある師を用いる事は、天の正しき道に違うことはない。従って、師は正義の軍でなくてはいけない。如何なる将帥を選ぶかは最も重要な問題であり、将帥に知仁勇の三徳を持つ丈人を選べば、乱を定め、民を安んじ、国が治るので吉である。
 論語から引用して、まとめとします。易と論語、二千年以上も前の知恵に圧倒されませんか。
子貢しこうまつりごとを問う。 子いわく、 食をらし、兵足らし、たみこれしんにすと。 子貢曰く、 必ずむを得ずして去らば、の三者において何をか先にせんと。 曰く、 兵を去らんと。 子貢曰く、 必ず已やむを得ずして去らば、斯の二者に於て何をか先にせんと。 曰く、 食を去らんと。 いにしえり皆死有り。 民信無くんば立たずと。
参考文献 加藤湖山、『易経逍遥』、Apple Books Store、2020年。 本稿に関するご意見質問等はメイルしてくだされば有難く存じます。    2022年    著者:加藤湖山    e-mail: kozan27ho@gmail.com    Copyright (C) 2022- K. Kato, All rights reserved.