『易経逍遥』

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易経は君子への教えとして記されています。三千年前に、君子は政治社会のリーダー的な立場にいた人々でありましょう。従って、易経の中には政治社会の機微に関する記述が豊富です。君子たらんとする方は学ぶべき道しるべとして、君子なにするものぞと考える方はそれなりの参考とすべく、本書から一部を抜粋して以下に記します。(横書きにすると卦の画像の表記に不具合がありますが、ここでは空欄のままに致します)

  • 天山遯
     天山遯てんざんとん は易経中の三十三番目の卦です。 その概要は、君子が山中に隠遯いんとんする様を表わします。「とん」とは逃げて避けるという事です。
     なぜ君子は逃げるのか。それは邪悪の小人勢力が世の中を浸蝕し始める時期にあたり、その勢いを止めることが出来ない情勢となっているからです。そうした場合には、止めようとしても止まらない勢力と戦い始めるのではなく、山中に逃れて難を避けようというのです。

    天山遯は、上卦乾を天とし、下卦艮を山とする。天の下に山あり。山は止まり動かず、天の気は上り進んで止まらず。これは天ののがれ避ける意がある。

    陰は小人の道、陽は君子の道。小人の道長じ、君子の道は消え、小人すすちようじ、君子はのがれ退く。

    下卦の艮は山、上卦の乾を君子とすれば、君子が山中に隠遯する象。

    こんな具合で、とにかく逃げる卦ですね。こうした世の中に生まれてしまった君子はどうしたらよいのか。象伝にはこう記されています。
    象曰。天下有山遯。君子以遠小人。不悪而厳。
    しよういわく、てんしたやまるはとんなり。君子くんしもつ小人しようじんとおざけ、にくまずしてげんにす。

    【大意】

    上卦乾を天とし、下卦艮を山とする。天の下に山ありとは、山は止まり動かず、天の気は上り進んで止まらない。これは天ののがれ避ける意あり。天はあくまで高く、下の山は天の高きに遠く及ばない。両者の間には厳とした隔たりがある。この卦象に則り、君子は、すすみ長じる小人を懲らしめようとするのではなく、小人を遠ざけるのがよい。小人を憎んで遠ざけるのではなく、厳しく自分を守ればよい。そうすれば小人はおのずと遠ざかり、危害を受ける惧れもない。

  • 沢火革:改革が必要だ
     天山遯のように逃げてばかりでは何も起こりませんね。今を生きる人々にとっては早急な改革が求められるのです。
     沢火革たくかかく は易経中の四十九番目の卦です。その概要は、

    ふるきを去りて新しくあらためる」、

    「両立し難いものが争って、そこから変化が生まれる」

    という内容ですから、改革や革命を意味します。  不思議な事に、いや実際には不思議でも何でもないのですが、「改革改革」と唱える者あれば必ずや改革反対の一大勢力の存在が目に映ります。そんな事からつぶされた改革運動など数えればきりがないくらいです。  三千年の昔、易経の中では本文に次のように記述されています。
    革。已日乃孚。
    かくおわにしてすなわまこととせらる。
    複数の解釈がある文ですが、次の解釈がわかりやすいと思います。

    已日は、改革して功成り事を遂げた日をいう。改革しようとする始めには、人をそれをよしと信じないものである。改革が目に見える形になり、自他のよろしきに合えば、その時になって初めて信じて服する。

     改革の結果としてもたらされる利益がはっきりしなければ、人々はなかなか信じないものだということですね。多数決の民主主義のもとは改革があまり進まない所以です。
  • 火水未済:未だならず
     火水未済かすいびせい は六十四番目の卦です。 卦の総数は六十四ですから易経の中で最後に登場する卦です。その名前の未済は「いまならず」という意味ですが、この名前こそが、易の本質を表しているように思います。易経に並ぶ最後の卦名が仮に「すでる」としたらどうなるでしょう。既に完成してしまったならば、そこで終りです。世の中が終わってしまいます。でも「未だ成らず」ですと、これから「成る」ように努力しなければなりません。そこで社会が進展するわけです。易の本質は変にありともいいますが、この卦の並び方の順序にもそれが如実に示されていると思います。
     火水未済は下卦がかんで上卦はです。坎は水を表し、離は火を表します。水が下にあって火が上にあれば、普通の煮炊きはできませんね。故に「未だ成らず」といいます。非常に簡単なイメージにより、意味するところが決まっているのです。では、下卦が離火で上卦が坎水ならばどうでしょう。下の火により上の水を温めることが出来て、料理ができますね。これは「すでる」を意味しており、易の六十三番目の卦・水火既済すいかきせい にあたります。
     このように上卦と下卦が入れ替わるだけでその意味する所が様変わりするわけですから、物をそれなりに適切に配置することが如何に重要であるかが推察できます。このことを未済の象伝において次のように記しています。
    象曰。火在水上未済。君子以慎弁物居方。

    象にいわく、水上すいじようるは未済びせいなり。君子くんしもつつつしみてものべんほうく。

    【大意】

    下卦坎を水として、上卦離を火とする。水は下に在って流下し、火は上に在って炎上するので、水火未だ交わらずの象である。水と火の上下の配置から既済と未済が分別するを見て、君子は慎重に物事の置き方を弁別して、各々宜しき位置に置くことを肝要とする。

     江戸時代の有名な易の大家の真勢中洲は具体的な例をあげて解説を加えているので、全文を現代文に訳して参考に提示します。

    君子と小人がいるとしよう。君子が上の位置に居て政治を行い、小人を下に置いて国事を従い行わせる時には、君子と小人は共にその居場所を得て、安心して務めを果たすので、これは国家が栄える姿である。

    小人が上に居て権勢を奮い利権を貪り、君子を下に屈服させて、その徳を隠し、明知を隠させる時には、小人君子共にその居場所を得ずして、共に安心することは出来ない。これは世が乱れて暗黒の姿である。このことは、君子と小人とを上下に入れ替えるだけで、国が乱れる分かれ目になる事を示している。

     故に、君子は慎重に物事の置き方を弁別して、各々適当な位置に置くことを肝要とする。

     小人に関する言葉を引用しましょう。

    小人:過ちを犯し、それが人に知れわたるのを恐れて、巧言令色、言葉巧みに覆い隠そうとするけちな心を持つ人。私情に溺れるか強引な態度をとる人。国を乱す邪悪な姦人。悦楽を以て人を溺れさせ、巧言を以てへつらう人。

    子曰く、小人しようじんは不仁をじず、不義をおそれず、利を見ざればすすまず、おどさざればりず。すこしく懲りて大いにいましむ。れ小人の福なり。易に曰く、こうきてあしめつす、とがしとは此を之れ謂うなり。(注:反省して罪を重ねなければ許しましょう)

    善も積まざればもつて名を成すにらず、悪も積まざれば以て身を滅ぼすに足らず。小人しようじんは小善を以て益しと為して、而して為さざるなり。小悪を以てそこなう无しと為して、而して去らざるなり。故に悪積みておおからず。罪大にして解く可からず。易に曰く、くびかせにないて耳をめつす、凶なり。(注:首かせで締められて耳が痛んでもやむなし)

  • 天地否:否の時代の生き方
     天地否てんちひ は十二番目の卦です。 否はふさがって通じないことで、閉塞へいそく否塞ひそくの状態を云います。すでに陰鬱な気分とは思いますが、もう少し否について詳しく記せば次のようになりましょう。

    否の上卦乾は天気上昇し、下卦坤は地気が下降するので、陰陽交ることなく、否塞ひそくを意味する。小人が時を得て盛んになり、君子は日夜衰えて行き、人の道を正しく行える時ではない。しかし、内卦と外卦で時運を分かつ卦であり、否の中に泰が生まれ、終には否は傾き、泰通に至らんとする。

    象伝はこう云っています。
    象曰。天地不交否。君子以倹徳辟難。不可栄以禄。
    しよういわく、天地てんちまじわらざるはなり。君子くんしもつとくつつましくしてなんけ、えいするにろくを以てすからず。

    【大意】

    天の気と地の気とが交わらず否塞するのが否である。このような時にあたり、君子はその徳を収斂しゆうれんして外にあらわさず、もって小人による難を避ける。爵禄を以て栄誉としてはいけない。小人がはびこる否の時代に禄仕するはよろしくない。

  • 山地剥:陽はまた昇る?
     はく は二十三番目の卦で、消長十二卦の一つです。画象から一陽五陰の卦であることがわかります。その一陽は最後に上爻に残る一陽で、今にも陰爻の勢いに押されてぎ取られそうに見えますね。易では下から上へ動くとされています。それ故に、卦の名は剥となっています。剥は文字通りの剥ぎ取るという意味です。
     陰は小人の道、陽は君子の道とすれば、小人の道が増長して君子の道が消滅しようとする象ですね。あるいは小人(五陰)が時を得て勢い増し、君子(上九の一陽)が滅亡せんとする象とも見ます。このように明日に希望がない絶望的な時ですが、易はどのようにこうした世相を見ているでしょうか。
    上九。碩果不食。君子得輿。小人剥廬。

    上九は碩果せきからわれず。君子くんし輿小人しようじんはくす。

    【大意】

    上九は陽剛居極。一つだけ残る高い木の上のおおいなるこのみが食らわれないように、超然と高山に隠棲している君子は、衆陰の小人跋扈ばつこする世の中に生き延びて、いつの日にか必ずや勢いを得るであろう。その時、君子は車に乗せられて多くの人に推戴され、小人は家の屋根を剥ぎとられるごとく、居場所がなくなる。

    ◯語句
    碩果:おおいなるこのみ。碩は大、果は果実。
    碩果不食:超然と高山に隠棲している君子は衆陰の小人跋扈する世の中に生き延びて、いつの日にか必ずや勢いを得るであろう。正義の種は滅びずに蘇る。
    得輿:車に乗せられる。輿は車。多くの人に推戴される意。
    剥廬:家の屋根を剥ぎとる。廬はそまつな家。居場所がなくなる。
     どうでしょう、この結末は。極まれば変ずという易の本質の一つが表現されています。一つ残った実は、将来芽吹くわけですから、大きな実なのです。その時、権力を以て悪政を尽くした小人どもはこの世に居場所がないのです。どこかの塀の中にいるのでしょうかね。パリ解放・将軍の凱旋など感動的シーンとして記憶されます。
     そうした世の萌芽を易では地雷復ちらいふく なる卦とします。復の初爻の一陽は、剥 の上爻がかえり来たるとされます。復の世が来るのを待たねばなりません。「つればける(満つれば欠ける)」は天道の定道なのですから、復の世は必ず来るのです。その時、剥の世で権勢を奮った小人達の評価は決まっており、未来永劫に残ります。
     最近面白いニュースが伝わりました。小人が賢人君子を剥尽する象徴的な事件であると後日評価されそうな懸念があります。

    学術会議推薦の候補者百余名中の六人を首相が任命拒否した。

    歴史を振り返れば、学術関係者が時の権力者から迫害される事件は、名高い秦の焚書坑儒を始めとして、数しれずあります。ようやく近代ヨーロッパにおいて基本的人権の枠組みとともに、学問の自由、思想信条の自由、表現の自由などが確立されましたが、世界全体の現状を見渡せば、これらの権利が充分守られているとは言い難い。基本的人権は普遍的価値とは考えないという、歴史の逆行が進む事例もみられます。日本はと云えば、非常な艱難辛苦の末に手にしたにも拘らず、基本的人権の有りがたさを実感しえないという弱みがある。「どこからみても学問の自由の侵害にはあたらない」という類いの言葉が平然と発せられる所以でしょうか。かつての滝川事件、天皇機関説事件などと並んで、歴史に悪名を残す事を自覚しているのかどうか。
  • 沢天夬:小人を決し去る
     沢天夬たくてんかい は四十三番目の卦です。 夬は決と同じで、ものの勢いが極まる所までいき、その片を一気に付けるという意です。
    五陽進長して一陰を消し去る象、五人の君子が一人の小人を決し去る象である事が見て取れますね。
     簡単に消し去ると言っても事は簡単ではなく、歴史は正義の君子が姦計を駆使する小人によって敗れ去る事も示しています。それ故に、夬の各爻は君子と小人の戦いをこと細かに描写しています。ここでは、最後に小人が敗れ去る時の爻辞を紹介しましょう。
    上六。无號。終有凶。

    上六はさけぶことかれ。ついきようり。

    【大意】

    上六は陰柔居極。威権をほしいままにした小人で、一陰がまさに決し去られようとする卦の極に在る。大声で叫び泣き救いを求めても無駄であり、遂には滅亡して凶である。

    象曰。无號之凶。終不可長也。
    しよういわく、さけぶこときのきようは、ついながかるからざるなり。

    【大意】

    「无號之凶」とは、その運命が長かろうはずがないという事である。

     力足らずして徳に於いても欠けるところある小人が社会の高位に就いているのは正しくないし、又世を誤り、民を苦しめる基であるから、決し去るべきであると、易はみているようです。
    〖小人を決し去ることの難しい理由と誅戮の方策〗

    ❍ 一陰の小人は上爻に位している。

    ❍ 巧言令色を以て深く九五の君に密比して、寵愛はなはだしき者。

    ❍ 城狐じようこ社鼠しやその者(君側の奸臣)にて、取り除きにくい。

    ❍ 小人の姦巧黠俐かつり謀詐敏慧なることは、君子より余程勝れているので、威権をほしいままにして、そこに擦り寄る党は必ず広く多い。

    ❍ 小人の罪状をつぶさに王庭にあらわし披露して、その罪の次第をあまねく公明にすべし。

    ❍ 誠信の忠誠を以て同志の言葉を合わせて相集まり、連署して公所に告げ上り、これを誅戮すべし。

     こうした解説を読むと、印象的なシーンが思い浮かびます。
     それは、独逸第三帝国の絶頂期に総統が演説する場面です。こぶしをかざして鼓舞する総統に対して、片腕を挙げて歓喜熱狂する大衆。
     そのシーンを遠方から見て、バスに乗り遅れるなとあわてて道を誤った人々がいる一方で、映画「独裁者」を作った方もいるのですね。
     現代ではどうでしょうか。差別と分断の言動を続ける権力者に諂い擦り寄る方がいる一方で、ある距離を保って眺めている方々もいましたね。ある権力者は数年で決し去られました。へつらう小人はどうなるのでしょうか。山地剥に記されているように、「小人は家の屋根を剥ぎとられるごとく、居場所がなくなる」のかどうか。
     次の言葉が決して大げさでない事を、最近のニュース報道から実感した方が多いのでは。

     小人の姦巧黠俐かつり謀詐敏慧なることは、君子より余程勝れているので、威権をほしいままにして、そこに擦り寄る党は必ず広く多い。

  • 火風鼎:宰相の罪
     火風鼎かふうてい は五十番目の卦です。
    鼎は「かなえ」とも読みますが、亨飪にたきの重器で、画象から鼎と名前がついています。初爻は足、二三四爻は実を入れる腹、五爻は左右の耳、上爻はつるとして、全卦でかなえと見えるでしょう。
     亨飪にたきの意味から、鼎は新しきを取るなりで、沢火革により古きを取り去ったあとで、物事を新たにする意味とか、下卦巽を従うとし、上卦離を明としくとして、これは明者に麗きしたがうの象ですので、天下の事は明者に麗き巽う時には、その道は必ず亨通するというような意味もあるようです。
     ここでは、第二の意味合いの反証とも云える四爻を見てみましょう。
    九四。鼎折足。覆公餗。其形渥。凶。

    九四はかなえあしる。こうそくくつがえす。けいあくたり。きようなり。

    【大意】

    九四は陽剛不正。この卦の二三四爻は鼎の実であり、四では実が充満していて重い。支えるのは応爻である初六だが、柔弱にして重さに堪えず、足を折ってしまう。鼎はくつがえり、天帝を祀り聖賢を養うためのごちそうも、ひっくり返る。

    これを推して云えば、九四の宰相は己れの才力徳量を測らずして、妄りに国家の大任に当たり、表は陽爻賢良のフリをするも、内に不中不正の志と行いを以て任意随情に斡旋し、初六陰柔不才不中不正の小人を寵用する。これを以て国家の鼎と万民のあつものを転覆する。その責と罪とは逃れ得るべからず。極刑たるの凶になる。


    象曰。覆公餗。信如何也。
    しよういわく、こうそくくつがえすとは、まこと如何いかんせん。

    【大意】

    「覆公餗」とは、この時ここに至っては実にこれを如何ともする事なし。

    ◯語句
    そく:こながき。かゆ。あつもの
    公餗:天帝を祀り聖賢を養うためのごちそう。
    覆:ひっくり返す。
    形:刑罰。古本では刑。
    渥:重い刑罰。極刑。
    信如何也:まことにどうしようもない。
  • 繁辞下伝
    繁辞下伝の中で、孔子は次のように評価しています。今も昔も何も変わらない事に驚きませんか。

    子曰く、徳薄くしてくらい尊く、知小にしてはかりごと大に、力小にして任重ければ、及ばざることすくなし。易に曰く、かなえ足を折り、公のそくくつがえす。其のけいあくたり、凶なりと。其の任にえざるを言うなり。

    及ばざることすくなし:禍に及ばないことは少ない。